はい!こんにちはー!tiktok(チックトーク)というSNSが若者を中心に
流行してますけど、「うざい」「かなりうざい」という声が散見されます。
しかーーーし!!「うざい」と感じるその心の裏側には人々に隠されたとんでもない
心理がありました!tiktokをやる人々は「うざい」という声の表層的な部分にとらわれず、その深層にある「本当の想い」をくみ取り、自信をもってtiktokを行いましょうね♡
うざいと思っちゃう人も、思われちゃう人もみんなハッピーになる記事です。
- 人は「仮面」をかぶり、本当は出したいけど隠してる「影」を持っている。
- 「tiktokをやっている人のペルソナ」が「tiktokをうざいと思う人のシャドウ」にクリティカルヒット
- 「うざい」「きもい」という声の中に民衆の本当の声がある
人は「仮面」をかぶり、本当は出したいけど隠してる「影」を持っている。
人というのは、誰もが仮面(ペルソナ)と影(シャドウ)を持っている存在です。
なんじゃそりゃ"(-""-)"
ペルソナっていうのは、あくまで社会性のある自分、表の顔。
ルールとかモラルを守ってる自分。
シャドウっていうのは、素の自分で、いろいろと解放された内面世界の自分。
ペルソナにおいては抑圧している場合が多い。
みんな、社会においてはペルソナをかぶりあって、シャドウを隠して抑圧して生きてるんだわ。個人差はあるけどね!!!
たとえば、
家の中ではオナラしまくってる人でも、会社のオフィスのデスクでは絶対しないじゃん!
ペルソナ:オナラはしない
シャドウ:本当は自由にオナラしたいよぉーーーー!!!
オナラをするのはマナー違反、汚い人と思われるという「モラル」や「社会性」に縛られて、シャドウを隠してペルソナを作ってる。
顧客の前ではニコニコしてる人でも、客先を一歩出れば「あぁ疲れた、めんどくせw」となる。
ペルソナ:仕事してお金もらってるサラリーマン、客にとっての取引先という顔
シャドウ:やりたいことじゃないしやりたくない・・・マジでお金だけくれや
顧客先で横柄な態度をとるとまずいし、やりたくもないけどお金を稼ぐために「ルール」や「社会性」に縛られて、シャドウを隠してペルソナを作ってる。
こうやってさ、み~~~~~んなが社会の中で「ペルソナ」をかぶりあって、
心の中、自分でも気づかないような深層心理の中に「シャドウ」を抱えていきてるわけ!
でも、素の自=whay i am naturallyは、どっち!?というと「シャドウ」の部分なんだよね!!!!!
でさ!
自分が本当はやりたいことだけど、自分はできていません。
それを身近な人がやっていて実現していたら、人間はどんな感情を抱いてしまうでしょうか?
…嫉妬!!!
そう!!人間を狂わす醜悪な感情「嫉妬」でございます!
だから、ペルソナで自分のシャドウの部分を実現してる人を見ると、嫉妬してしまいがちなのが人間という生き物なのですよ!!
という人間の心理を説明した上で、tiktokをうざい!と思ってしまう人が多いのはなぜかを説明すると・・・
「tiktokをやっている人のペルソナ」が「tiktokをうざいと思う人のシャドウ」にクリティカルヒット
tiktokやってる人に対するネガティブな反応ってさ、
・調子に乗りすぎ
・ナルシストっぽくて気持ち悪い
・かわい子ぶるな
・しゃしゃりでてくんな
というものが多いのよ。
でもね、冷静に考えたらさ、
・別にtiktokやってる人は
・tiktokっていうサービスを
・利用して自分を表現してるだけ
・誰に迷惑をかけてるわけでもない
じゃない?
別にいいじゃん!勝手にやってれば!!!!
tiktokやりたい人がやって、tiktokが好きな人が反応してるだけのすごく楽しい世界なわけじゃん!!!!
でも、世の中は「うざい」ってなってるわけでしょ?
そうまさにこれは、ペルソナとシャドウによる嫉妬なんだよ!!!
こうなってるの↓
端的に言うとtiktokやってる人は「調子に乗ってる」わけですよ。
で、tiktokをうざいと思ってる人は「調子に乗ってる様子がマジでうざい」と思ってるんですよ。つまり、
tiktokやってる人:♪(キメ顔)♪(困り顔)♪♪
(調子に乗ってるぜ!!!!)
tiktokうざいと思う人:(私も本当は・・調子に乗りたい・・・社会の目や立場、いろんなものをかなぐり捨てて、本当は調子に乗りたい。調子に乗ってみんなにキャッキャ言われるのであれば、私も・・・・私も・・・・調子に・・・・調子に乗りたい!!!!!!!!!!!!でも・・・無理だ・・・・・くやしい・・・くそぉ・・・なにかこの感情を合理化するものはないか・・・・そや!!!!)tiktokうざいよ?恥ずかしくないの?
これなんですよ。
恥ずかしながら、私も最初tiktokを見たときに「うざい」と思ってしまいました。
でも、自分の中にある「シャドウ」の存在に気づいたとき、
「私はきっとtiktokを楽しんでいる人に嫉妬しているんだ」と思い、自己猛省しました。
tiktokやってる人って別に何の迷惑もかけてないのですよ。
ただ楽しんでるだけ。
「誰でもスター気取り社会」を上手く乗りこなしているだけなんです。
だって、本当に何とも思わない、関係のないことには何の感情もわかないはずなのです。人間ってのは。
でも、tiktokを見て「うざい」と思ってしまう。
そこには、確実に自分が抑圧されている素の自分=シャドウの存在が見て取れるのです!!
「うざい」「きもい」という声の中に民衆の本当の声がある
そう考えると、世の中で「うざい」「きもい」と言われていることの中には、
実は「民衆の本当の声」があるということが言えるわけです。もちろんすべてがそうじゃないけどね。明らかに人に迷惑をかけてることとか、弱い者いじめしてるとか、モラルに反することをしてる場合は除いて。でも、そのモラルすら「現時点でのモラル」なので、もしかしたらそこには「新時代に変わるべきヒント」が埋まってるかもしれないのですよ!
世の中には、民衆のシャドウを実現しているペルソナたちに嫉妬するネガティブ批判がひしめいているのですよ・・・( ;∀;)
だって、本当に興味のないことには、絶対に人は反応しないから。
反応しちゃってるってことは、顕在意識・潜在意識の中で興味がある、
多くの場合は抑圧してる「シャドウ」に反応しちゃってる!ってことの裏返しなのですよ♡♡
金の亡者だ!!!
金持ちペルソナの人:お金儲けしてお金持ちで悠々自適な生活をしている
民衆のシャドウ:(ああなりたい・・・でも・・・なれない・・・そや!)金の亡者だ!きもいぞ!!!
だから「本当のお金持ち」はお金を持っていることを絶対に隠します。
オカマ!キモイ!
女装ペルソナの人:社会のジェンダーに縛られず、自由に自分のなりたい姿を表現中
ヘイターのシャドウ:(私も自由になりたい・・・でもあんな自由になれる勇気がない・・・・そや!!)オカマキモイ!!
あの女、男に媚びすぎててキモイ!
モテ女ペルソナの人:モテる女を具現化中!
モテ女ヘイターのシャドウ:(私もモテたいよぉぉぉぉぉ!私もああやってちやほやされたいよーーー!!!でも・・・・なれない・・・し、あんなふうになれる自信もない・・・・・そや!!!)男に媚びててなんなのあいつ?
もはや、シャドウによる嫉妬事例をあげれば枚挙にいとまがありません。
もしかすると、世の中のネガティブ批判の9割は「シャドウと嫉妬」に起因してるかもね♡♡
でもね!
「うざい」と思っちゃう人だって、いろんなものを抱えながらペルソナで生きてて、
それが否定されるわけでもないの。捨てるべきば「自分にできないことをやってる人がうざい」っていう感覚ね(^_-)-☆それ以外は別にいいじゃん!!!人間によって正義も、大事なものも、抱えてるものも全部違うんだから。
そう、人はそれぞれさまざま譲れないもの・大切なもの・正義・・・はバラバラなの。
でね!
人間って、この同調圧力洗脳の多い日本ではとくにそうですが、
「他人が自由だとイヤ病」が蔓延しています。
他人が自由だったらイヤ!!!!お前も同じように不自由になれ!!!!という現象。
これもまさに「シャドウと嫉妬」なのですよ。
でも冷静に考えてみるとさ、
他人が自由になっても、自分の自由度が下がるわけでも上がるわけでもない。だったら、他人が自由になったほうが「社会全体において自由な人が1人増える」わけだからそれでいいじゃん!!!
って思わない?(^_-)-☆
しかもさ!!!!
自分が仮に自由じゃなくても、他人が自由になることを賞賛して、みんなが自由になっていけば、実が自分もその恩恵を受けることができるんだよ?
<現在>
自由だー!!!!!→他の人「いや、おまえ不自由になれや!!!」となる→自由な人は自由であることを隠そうとする→全体的に不自由であることを肯定される生きづらい社会
↓
<未来・理想の社会>
自由だー!!!!!→他の人「いいね!いいね!!!」→自由な人は自由であることを謳歌する→全体的に自由であることを肯定される生きやすい社会になる→みんなが自由になろうとする→・・・・
こうなっていくためには、
いやなことはいやだ!!!!
おかしいことはおかしい!!!!
我慢しない!!!
ということをみんながやっていかなくちゃいけないの。
そうすれば、世の中は本当に変わるよ。
tiktokやってる人も、うざいと思ってる人も、それぞれのワクテカにストレートに生きていこう!他人にシャドウをおっかぶせて嫉妬してる暇はない!
本日はここまで!
seeya♡b