風の時代の賢い生き方

風の時代の賢い生き方を記します。この通り行動すれば、必ず人生は幸福になります。

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性別を国家に決定されない未来。男女という概念を使いたい人だけ使う時代へ。

私たちって生まれた瞬間に、まだ自己決定とかできない段階で、外見的特徴で「女性か男性か」という男女二文法で性別が決定されているじゃないですか。でもそんな時代ももうすぐ終わるんじゃないかって話をします。
ジェンダーフラット化に関係する話です。

男女二文法洗脳。男性なら男ジェンダー、女性なら女ジェンダーで生きねばならないという社会の刷り込み

私たちは物心つくころには「女の子」であったり「男の子」という、

国家から授かった「男女」というアイデンティティーがすでに付与されている状態で育つじゃないですか。


小さなころから、男性であれば「男の子なんだから・・・」女性であれば「女の子なんだから・・・」みたいな、男女2文法によってあらかじめ国家によって付与された男女に基づいた社会性を身に着けていくわけですよ。

でもこれこそが第一の壮大な洗脳なのですよ。
国家が形成している「男女観」のようなものはその国の歴史や文化によって形成され、それぞれ異なるのですが、その男女観に基づいた「男だったらこう生きるのがいいよね」「女だったらこう生きるのがいいよね」みたいなのが男女ジェンダーですよね。

すると、男女二文法を前提とした今の社会では、男女それぞれの生き方の理想みたいなのが、あらかじめインプットされて私たちは幼少期を過ごすわけです。
「男の子だったら強くなりなさい」「男の子だったらいっぱいお金を稼ぎなさい」「女の子だったらかわいらしくなりなさい」「女の子だったらいいお婿さんに拾われるために美しい女性になりなさい」・・・etcみたいな、男女二文法前提のジェンダー洗脳まみれの刷り込みによって、人間は社会性を帯びているわけですよ、今。ほとんどの国で。



たとえば日本であれば、

男の子なら、おままごとをやりたくてもなぜか親に止められてしまう。
それは男の子らしくないから。
女の子なら、剣で友達と遊びたくてもなぜか「女の子らしくない」という理由で親に止めさせらえてしまう。

個人が感じる「やりたいこと」「興味を持つこと」の前に「それがジェンダーにふさわしいか」という判断が入ってしまうわけですよ。


でも、もう男女二文法がアイデンティティーの一部として強制的に付与される時代は終わりに近づきつつあります。

 

 自動付与される男女二文法に対する疑問符とジェンダーフラット化する世界

結局、今までだと「私は男です」「私は女です」という男女二文法に基づくアイデンティティーが生まれた瞬間に国家から付与されてたわけじゃないですか。
だから早い人であれば幼稚園から「制服」によって男女分けされ、「習い事」によって男女分けされ…

 

社会のさまざまなアソシエーションは「男女二文法」を前提として設計されてきているので、乳児期を終わり、社会性を帯びた瞬間から「私とは何か」というアイデンティティの一部に、国家によって決定された男女二文法が自動的に組み込まれた状態で生きるわけじゃないですか。

しかし、インターネットの出現、web2.0時代以降、個人メディア時代になり、今まで人類が手にできなかった情報が誰でも簡単に手に入り、発信できるようになりましたよね。そこで、男女二文法、生まれた瞬間に国家が男女アイデンティティーを自動付与するという前提に疑問符を投げかける価値観がどんどん露見しているのです。


そこで露見されたのがLGBTの存在なのですよ。国家が勝手に付与してくる男女二文法に基づくアイデンティティーに当てはまらない人々なのです。

 

その代表的な例としてLGBTのT、トランスジェンダーがあげられるわけですよ。
たとえばMale to Femaleトランスジェンダーであれば(カラダは男性でこころは女性)
「男ジェンダー」を押し付けられるけどこころの中ではずっと違和感があるわけです。
スカートをはきたいけどはけない。化粧をしたいけどできない。みたいな。

私も、幼稚園の制服で、女子児童だけがスカートをはいていることに強烈な違和感を覚えたのを今でも覚えています。(私は生物学的には男性)

このように男女二文法に基づくアイデンティティの自動付与とそれに基づくジェンダーによって、自己決定を阻害される人がたくさんいたわけですよ。それがLGBTのTなわけです。


それが広告LGBTによって拡散され存在認知され、今まさに社会はジェンダーフラット化を現在進行形で迎えています。

kuriharachiaki.hateblo.jp

 社会のさまざまな公的書類から「男女欄」が消え、
最初の男女二文法洗脳の第一ステップである「制服」に男女差がなくなり、
企業の求人には「トランスジェンダー可」という文字が普通に入るようになったわけですよ。これはまだまだ現在進行形、もっともっと進んでいきます。

LGBT当事者でなくとも「ジェンダー」によって人生選択の幅を狭められていた人々も続々と「国家による男女二文法」を無視した自己決定を行うようになってきています。

女性の制服からスカートが消え、男性の自己表現のひとつにお化粧が増え、
男性の生き方として家庭を持って女性を守る生き方が消え・・・

男女二文法に基づいた生き方を離れた、個人としての自己決定をする人がどんどん増えてきているのです。

女だけど化粧したくない!→OK
男だけど化粧したい!→OK
女だけどスカートはきたくない!→OK
男だけど仕事で勝ちたくない!→OK

結局、これまでの国家による「男女自動付与」と「それに連動するジェンダー」によっていろんな人々が人生選択をゆがめられてきているのですよ。
あ、もちろんそれに最適化して自己選択を行って幸福になってる人もたくさんいるというのは前提としてね!

結局、個人としての「自己決定」が男女二文法に影響されずに行うことができるようになる時代になっていっているということなのです。


女だけど化粧したくない!→OK
男だけど化粧したい!→OK
女だけどスカートはきたくない!→OK
男だけど仕事で勝ちたくない!→OK

化粧したくないならしない、化粧をしたいならする。スカートはきたいならはく。スカートはきたくないならはかない。
そこにこれまであった「女なのに」「男なのに」という条件は消滅してきつつあるということです。

 

男女というアイデンティティーは「シンガー」「ブロガー」並みのアイデンティティーの1つになる

そうなると、男女というアイデンティティーは国家にほって自動付与されない時代がそのうちやってくるようになるわけです。

だって必要なくなってくるんだものw


公的書類から男女が消え、制服からも男女が消え、これまでの男女ジェンダーに基づく生き方をしない人がいれば、男女などというアイデンティティの重要性はドンドン下がっていきますよね。

そもそも今でも「女性だから・・・」とか「男性だから・・・」という「男女二文法を前提とした意見」は炎上したり批判されることが多くなってるでしょ?それだけ、もはや「男女」は必要なくなってきている、というかアイデンティティーとして非常に弱くなってきているのですよ。

 

「男女二文法が当たり前ではなくなっている」ということなのだから。男女二文法というこれまでの社会を動かしてきた大前提に対するアンチテーゼ「男女二文法じゃなくて、個人でしょ」というアンチテーゼが、まさに今アウフヘーベン(昇華、次への変化)されてるわけですよね。

女性を美しいとほめただけでセクハラになる時代です。
これも「女性は美しい」という男女二文法前提に根差した価値観だからですよ。

男性が仕事できなくてもママ活で女性に食べさせてもらえる時代です。
これも「男が働き、女は家庭を守る」という価値観の崩壊ですよ。

男女二文法という大前提は、社会でドンドン崩壊していっているのです。


そうなると、「男女」というアイデンティティーは「名乗りたい人は名乗ればいいし、名乗りたくない人は名乗らない」程度の概念になるわけですよ。

つまり「シンガー」とか「ブロガー」とか「スピリチャルカウンセラーw」とか、
そんな程度のものになるってことです。

 

kuriharachiaki.hateblo.jp

 だから、

・女という武器を使いたい女性は使うし
・使いたくない女性は使わないし、
・男という武器を使いたい男性は使うし、
・使いたくない男性は使わないし、
・っていうかそもそも「男か女か」っていうのはそんなに意味をなさなくなって、
・「私」というアイデンティティーこそが最も重要なアイデンティティー概念になるので
・また社会もいろいろ変わるよね!

 

って話でした。どう変わるのかは長くなるので、また別記事で♪

 

男女なんてどうでもよくて、

やりたいことをやって、突き抜けて、その先にある自分らしい、自分という主人公を思いきり生きている自分というアイデンティティーを胸張って生きようね!ってこと。

 

本日はここまで。

じゃあねー!バイバイ♪